人が集い 列車が行き交い 時が流れる
駅には 歴史がある 文化がある 生活がある
そんな駅の肖像を描く 駅物語

このサイトは「駅」をテーマにした3分動画作品を配信するサイトです。
   
ホーム 作者のブログ DVD販売 リンク    
北海道・東北 関東 中部・北陸 関西 中国・四国 九州
 

高尾 (JR東日本)
〜 大葬の礼のために造られた和風駅舎 〜

 

 

撮影を開始したのは午前9時頃だっただろうか。真東よりすこし南よりの冬の朝の太陽で撮影の条件としてはかなり厳しい逆光だ。その上駅前はバス、タクシー、人の往来が激しくビデオの撮影はけっこうつらい。都心へ向かう通勤通学客は駅に吸い込まれるように足早、駅からハイキングに向かう人達は余裕をもって駅から出てくる。中央線都心部と山岳部のジャンクションらしい風景である。

高尾駅は荘厳な和風建築の駅舎である。なんでも大正天皇御大葬の時、柩を送りだすために造られた新宿御苑仮停車場を昭和2年に移築したものなんだそうだ。
国家の一大行事とは云え、こんな立派な駅舎を造ってしまうというのも現代では考えられない。
また当時、大葬の礼のためにどんな形式の列車がどんな編成で走ったのか、それは国民はどのように見たのか、疑問や興味がわく。
ちなみに大正天皇の多摩御陵と昭和天皇の武蔵野陵は北に約1キロのところにある。

仮停車場として造られたとは云えその後高尾駅として80年以上使われていることになる。
駅には特にそういったことを説明したパネルも石碑も何もなかったようだ。
大正と昭和の時代の境目を見た歴史的建築物としてもっと評価されてもよいのでは?

     
 

また後に知ったことだが、この駅の一番線ホームの柱に第二時世界大戦中に米軍機の銃撃を受けた跡が残っているんだそうだ。
そういえば昔「ガラスのうさぎ」という映画で駅が銃撃される場面を見たことがあるが、あれは高尾駅だったのだろうか?

見られる車両のバリエーションも豊かだ。オレンジ色201系、山岳部はスカ色、またはパステルの東日本色の115系、あずさ、スーパーあずさも大きく3種類の車両が使われさらに
国鉄色のかいじも加わる。時刻表をもとに通過列車をおさえるため上下ホームを行ったり来たり3往復ぐらいしただろうか。名物天狗の石像を撮影して約2時間で終了した。

     
   

本サイトを訪問いただいた tamotsu様からの情報
(以下メール文章のまま)

大正天皇の大葬以来,「高尾」駅のように拝読しました。が
昭和30年台は,「浅川」駅でありました。
小学校の頃,「八王子」駅から列車に乗るのも面白くて,夏は「浅川」駅近くの浅川に泳ぎに行ったものです。
ついでながら,御陵の参道が甲州街道に突き当たる向こうに「御陵」駅がありました。
オリンピック前後までは,実際に御陵列車が発着していました。いまも欅並木が駅跡までつづいているはずです。

     
   

確かに宮脇氏、原田氏著の「中央・上信越590駅」という本によると、「高尾と言えば浅川と連想する人は地元に住む人か駅名に通暁する人か」とあり昭和36年3月20日に浅川から高尾に改称、一種の観光目的の改称だったのだろう
とありました。
また浅川のお話「御陵駅」のお話、地元の方ならではの情報で大変興味深いです。
情報提供ありがとうございます。

   
 
   
 
戻る

(C) 2006 Station Co. Ltd. All Rights Reserved.
ご意見・ご感想・情報をおよせ下さい  info@station-j.com